木村朗/前田朗編著『21世紀のグローバル・ファシズム─侵略戦争と暗黒社会を許さないために─』(耕文社、2013年)をめぐって
私が本書を初めて手にしたのは、本書の出版記念シンポジウム(2014年1月18日、大阪)に参加した時である。最近ようやく「ファシズム」という語が復権しその使用が増えているように思われるが、それでも、まだ「総力戦体制」や「大衆動員社会」などが用いられることが多い。概念の厳密性追求の結果であるが、これらの新しい概念もその有効性には限界がある。それに対して、「グローバル・ファシズム」という概念は、「ファシズム」概念と新しい概念を包含して、新しい地平を開いているように見える。
ただし、「まえがき」によれば、この概念は、社会科学的概念として提唱されたものではなく、一種の道具概念である。したがって、23人に上る執筆者達も、この概念を同じ意味で用いているわけではなく、テーマも、ファシズム、ナショナリズム、テロリズム、植民地主義、監視国家化、有事法制、裁判員裁判制、秘密保護法、平和的生存権、沖縄の米軍基地など、極めて多岐に亘っている(もっとも、今や不可欠の原発問題が抜けており、それに対してシンポでも批判が続出した)。しかし、立場の多様性の故に、ファシズム論として却って深まっているとも言える。たとえば、徐勝(スソン)は、第3部で、ファシズムは日本では死滅することなく地下水脈となって生き延びてきたと論争的に主張する。また、編者の木村は「終章」で、「グローバル・ファシズムは、極限まで肥大化した軍産複合体と狂った金融資本主義が生み出した、まさに21世紀の新しいファシズム(あるいは帝国主義)」であると、この概念の実質化を行っている。
「グローバライゼーション」は「アメリカナイゼーション」と同義だと言ってもいいぐらいであるから、過大な期待は控えるべきであるが、「グローバル・ファシズム」概念には、「ファシズム」概念を再生させ、それをバージョン・アップさせる新しい質と可能性があると感じる。 (K. N)
木村朗/前田朗編著『21世紀のグローバル・ファシズム-侵略戦争と暗黒社会を許さないために-』(耕文社、2013年12月発行、全364頁)
[耕文社のHPに移動します]
[2014年1月30日]
印刷